1.キャリア(無症候性キャリア)の被害

1−1.感染の告知と発ガンの恐怖、将来の希望が奪われる

  • 平成20年1月、たまたま病院で診察を受けたときに、献血でHBs抗原陽性だったことを医者に話した。すると、医者は『すぐに検査をした方が良い。ガンになる可能性がある』という思いもよらぬ言葉が返ってきた。しかも、医者の話では、ガンになり命を落とすかもしれないという。自分は長生きできないのかと、とても不安になり悲しくなった。
  • 現在、年4回の血液検査、年2回の腹部エコー検査を受けているが、安心できる日は訪れない。私の人生は、HBVという『爆弾』が埋め込まれた身体に振り回され、支配されているようなものだ。将来に夢も希望も持つことができない。そのようなものは、いつHBVによって打ち破られるか分からない。
  • 高校2年生のとき、ラグビーの練習中に膝の靭帯を損傷して入院。この時、医師から、『B型肝炎に感染しているから、激しい運動はしないように。血液で人にうつる病気なので、ケガをして人に接触する可能性のあるスポーツはやめるように』と言われた。母校を花園に連れて行くという自分の夢を取り上げられてしまった。私は、理由を告げないままラグビー部を辞めた。感染する病気と聞いて、チームメイトにB型肝炎のことを話す勇気がなかったからだ。

1−2.恋愛・結婚・出産への障害

  • 私は独身だが、好きになってつきあった人にB型肝炎キャリアであることを告白したら偏見で断られるのではないか、彼女が受け入れてくれても親御さんに結婚を断られるのではないか、彼女を自分と親御さんとの間で板挟みにして苦しめるのではないか、そんなことを考えると女性とのつきあいにもためらいを覚える。
  • 私は、キャリアであるとわかってから妻と交際をしたが、病気のせいで結婚を受け入れてもらえないのではないか、と思っていた。結婚によって感染させるおそれがあること、それを防ぐために検査やワクチンが必要なことなどを妻に話すときの悩みや辛さはどう表現したらよいかわからない。
  • 昭和61年、長女を妊娠した際の検査によってB型肝炎キャリアの宣告を受けた。そのことを聞いた夫の母は、当初出産を断念するよう私に言った。本来なら楽しみに過ごすはずの妊娠期間が、私にとっては、感染への不安と、出産を決意したことが本当に良かったのかという葛藤の日々だった。
  • 嫁ぎ先での新しい生活を始めた矢先、妊娠していることがわかった。新たな命を宿した喜びよりも、『どうしよう』という後ろめたい気持ちが先に立った。生まれてくる子に、つらい思いをさせてしまう。長男を産んだときのように、死ぬ病気をうつしたと、また責められる。義父の怒号が頭をよぎった。産みたい。けれど、産まないほうがいい。悩み続けたあげく、堕胎した。

1−3.差別や偏見

  • 他のお母さん達とは一緒に授乳室には入れずに、自分の病室へ赤ちゃんを連れて行き授乳した。新生児室では、我が子のベッドだけが、他の赤ちゃん達とは離れた所に置かれていた。ここまでされなければならないことなのだと、とても悲しくなった。早く家へ帰りたいと思う入院生活だった。
  • 左の小指の複雑骨折の手術を整形外科で受け、会計の順番を待っていて、なかなか呼ばれず、他の人がみんないなくなってから、病院の事務員に呼ばれて『あんた、B型肝炎炎に感染している。手術に使った器具とかも、処分できるものは全部処分しなきゃならないから支払いが高額になるけど払える?』といわれた。ショックで眠れなかった。整形外科医から『この病気はエイズやハンセン病と一緒。人に移るといけないから、怪我や病気をしても病院なんかにかかれないんだよ』と言われた。
  • 『B肝』と言うと、友人が去っていき、とても寂しかった。

1−4.日常生活の制限

  • 検査の結果、B型肝炎ウイルスのキャリアであることが分かってからは、抵抗力が落ちてウイルスが暴れ出すことのないように、生活リズムや食事などに常に気を遣うようになった。いつ発症するとも限らないので、定期検査にも通っているが、それでも、突然ウイルスが暴れ出すのではないか、ガンになるのではないかという、言いようのない強い不安は、いつも私につきまとっている。B型肝炎患者にとって、死への恐怖はとうていぬぐい去ることができない。
  • 人通りの多い場所で万一私が出血を伴うケガをした時にはどのように対処したら良いのだろうと、思い迷う。出血している私を手当てしようとする人に、『私に触らないで』と叫ばないといけないのか。私自身がHBV感染の被害者なのに、他人にHBVを移して「加害者」になってしまわないよう、常に注意して生活しなければない。そのような日々はとても疲れる。
  • 少しでも経済的な不安を取り除こうと、まだHBVキャリアにとどまっていた頃に、掛け金が手頃な医療共済を申し込んでみた。ところが、『HBVキャリア』という理由で加入を断られてしまった。

1−5.子へ感染させた加害者としての被害

  • 私から母子感染した長男が、歯科技工士の仕事のハードさと、自分も私のように肝炎を発病して苦しむという不安で、『引きこもり』になってしまった。仕事にも行けなくなり、私と長男は二人で、家にこもることになった。私と長男の壮絶な心の葛藤が2年間続いた。そんななか、29歳の長女も、平成19年頃、B型肝炎を発症してしまった。長女は、それでも明るく振舞ってくれるが、なおさら私は申し訳なく、ショックなことだった。
  • 平成19年、息子が慢性B型肝炎と診断され、平成20年に6か月間インターフェロンの注射をした。一度インターフェロンが終わってから1か月は数値が良かったのですが、その後また数値が上がり、再び6か月間インターフェロンを打つことになり、現在も注射をしている。息子の病気が分かる前から息子と交際していた嫁は、嫁の両親に息子の病気のことを話した。嫁の両親は「あなたに移ったら大変だから別れなさい」と言ったそうです。